2021年10月22日より始まる韓国でのレジデンスプロジェクトのオープニング展覧会の作品へ寄せた文章です。   「Drawing with different eyes」 約46年前の私の母の写真。   小学校の教員免許を取得するため教育実習に臨んだ20歳の母を撮影したのは、当時の指導教官に当たる国語の先生だったらしい。   46年後の2021年。 その写真の写真を、 […]
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Dear Camus

5月 30, 2020
  Dear Camusという韓国、ドイツ、香港、日本の作家が、各々の国、地域、個人が今どのような状況にあるのかを考察するプロジェクト。 ペストの主人公リウーがオランでの感染症を記録していったように、各々が各々の視点で、時間が止まった2020を記録していくことに試みています。 その試みを無料のメールマガジンとして配布するこの企画。 日本の作家として参加している太田遼の投稿のゲストとして、 […]
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2019年4月に行われた展覧会「I am remembering why we are thinking about it.」にて製作された冊子に寄稿していただいたものを載せさせていただきます。   「何を見ても何かを思い出している」 平田剛志   人は芸術作品を見るとき、何を考えているのだろうか。その一つは、記憶を想起することだろう。マルセル・プルーストの小説『失われた時を求 […]
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2019年4月に行われた展覧会「I am remembering why we are thinking about it.」にて製作された冊子に寄稿していただいたものを載せさせていただきます。   「私たち(We)」が共有する世界に向けて 雁来聡   この展覧会を振り返るにあたり、まずは瑞雲庵という建物についての大まかな印象を述べておきたい。この建築物は、由緒正しき家屋が立ち […]
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2019年8月7日

8月 07, 2019
この部屋には、たくさんのそれやあれがある。 見つめることも、手に取ることもできても、私はそれにもあれにもなることはない。 もはや私であることにも確証はない。 いつだって私は、おおむね外側にいる。
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2019年3月27日

3月 27, 2019
「Mayumi Enoki / Tomoko Takemasa Exhibition – I am remembering why we are thinking about it.」 に寄せてキュレーターである新井杏によるステートメントを以下に記載させていただきます。     「- I am remembering why we are thinking abou […]
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2018年12月21日

12月 21, 2018
眼を凝らして見つめていたはずだったのに、いつの間にか見失う。 見失ったものは何だったのか、もはや思い出すこともない。 だけれど、ふと気がつくと、見失ったはずのものたちが 私を捉えてやまないことに気がつく。 私が見失ったのか、それとも。 それが何であれ、私は、また、眼を凝らすことにした。 また見失うことが解っていたとしても。
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2018年10月29日

10月 29, 2018
小高い丘について思いをめぐらす。 登っていたことにも、いつのまにか下っていたことにも 気がつかないかもしれない。 だけれど そこは小高い。 私が意識しようがしまいが そこは小高い。
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2018年4月6日

4月 06, 2018
ビニールハウスの中の人へ 目の前をよぎったんだ。 だけど、私はあなたを見ていなかった。 あなたを見ていただけで、光を背に動くあなたを認識しただけ。 あなたをみたいと思って、想像してみたりした。 でも、きっとすぐに忘れてしまう。 私たちの間には、いつも隔たりがある。 そしてお互いに、特定されること無く 世界は続いていく。 どうぞ、お元気で。
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2017年11月20日[2]

11月 20, 2017
「ダムの底」 それをみたことが無い。 そもそも、そんなに行く機会を作らずに今まで生きてきた。 みる回数は圧倒的に少なく、みたとしてもそれとは気付けないかもしれない。 水が溜まっていない状態のそれを、何と呼ぶべきだろうか。 やはり水が溜まって役割を果たしてこそ、名付けられる場所のような気もする。 ということで、今後もその底にたどり着くことは難しいようだ。 はっきりとは見えない底が確かに存在することだ […]
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