Dear Camusという韓国、ドイツ、香港、日本の作家が、各々の国、地域、個人が今どのような状況にあるのかを考察するプロジェクト。
ペストの主人公リウーがオランでの感染症を記録していったように、各々が各々の視点で、時間が止まった2020を記録していくことに試みています。
その試みを無料のメールマガジンとして配布するこの企画。
日本の作家として参加している太田遼の投稿のゲストとして、映像作品と短い文章を寄せました。
https://www.elespace.io (企画者であるソウルのエレファントスペースのHP)
以下に今月の太田の投稿を引用します。URLより映像も見ることができます。
「今というフィクション」
太田 遼
https://vimeo.com/423589941/72eba6b2b1
今は2020年5月25日。ぼくはこの文章を書いている。今はまだ緊急事態の最中だ。
今日東京とその隣接する県は緊急事態宣言が解除され、日本全国全てが通常に戻るようだ。
日本政府はその基準を示さないので、なぜ解除するのか、またはどうなったら再び緊急事態になるのか、はっきりしない。
きっと緊急事態の解除には、日本での感染者数が減少してきた背景がある。
しかし、日本では検査数が相変わらず増えない。
検査数が多い日には当然比例して感染者数が増えるので、検査数を併記しない感染者数の発表はほとんど意味がない。
しかし日々のニュースでは、天気予報のように今日の感染者数を発表する。
つまり、感染者数という数字はある意味フィクションで、空気を作る役割しかない。
日本は空気によってコントロールされる。
今、日本はなんとなく大丈夫そうな空気があるだけだ。
ステイホーム。自粛という空気。
ぼくは今、1986年を舞台にしたドラマを見ている。全5話のうち、3話まで見たから、今見ている途中である。
チェルノブイリ原発事故を題材にしたその実録ドラマは、2019年に制作されたものだ。
非常に良くできていて、映像の中はまるで実際の1986年が映されているようなリアリティに溢れている。
それを見ている2020年。改めて言葉にするととても複雑だが、このような極めて多層的な「今」を、僕たちは日常的に経験してしまっている。
画面の中の1986年。
1986年というフィクション。
「今」とは、一体何を指すのか。
「ためしにここでちょっと賭けをしてみよう。この一行を書き終えるまでのあいだに地震がくれば、一万円支払います。
無事に地震をやりすごせた。僕は賭けに勝った。あいにく賭の相手を特定しなかったので、儲けはしなかったが、損もしなかった。
ぼくだけでなく、実際に地震がくるその直前まで、誰もがこんなふうに楽観的見通しのほうに賭けつづけるにきまっている。
想像力の不足からくる楽観主義。盲人に連れられて行く盲人の群れを描いたブリューゲルの絵を思い出す。
誰かおびえた一人が駆け出せば、たちまち全員が反応してパニックを起こすだろう。それまでは持続する「今」に居座りつづける腹なのだ。
— 安部公房 「死に急ぐ鯨たち」
今を見事に定義した安部公房の文章である。
1986年に書かれたこの文章は経験の反復する日常からくる「今」が持続することへの警告から書かれている。
もちろん「今」を生きる僕たちは、日常が永遠に反復しないことは知っている。でも同時に、持続するような「今」に囚われてしまってもいる。
「今」というフィクションに。
ぼくはベランダで寝ていた。そこの風景を観察し、映像を撮影していた。
臨時閉鎖されているままの個展会場はそろそろ再開するかもしれない。
2ヶ月前の行為は、同時に今のものとなりそうだ。
今回の映像は、武政朋子の視点を借りた。
「ベランダの片隅にいた、私。
映像に映る、他人。
それを撮影する私が映り込む、ビニール。
こうして文字を打ち込む、私。
ここに残るそれは、なんと名付けられるのだろう。」
これを書き終わる今は5月27日。緊急事態宣言はすでに解かれている。
(武政朋子 webサイトhttps://tomokotakemasa.com)
(安部公房 「死に急ぐ鯨たち」新潮文庫 1986年)
太田遼
東京, 27. 05. 2020.