2021年10月22日より始まる韓国でのレジデンスプロジェクトのオープニング展覧会の作品へ寄せた文章です。
「Drawing with different eyes」
約46年前の私の母の写真。
小学校の教員免許を取得するため教育実習に臨んだ20歳の母を撮影したのは、当時の指導教官に当たる国語の先生だったらしい。
46年後の2021年。
その写真の写真を、アーティストの田中良佑さんが撮影した。
そして田中さんが撮影した母の写真の写真を素材として娘である私が営む行為は、随分と遠ざかった20歳の母の眼差しと、
私の眼差しの交差することの無さの形を考えることだった。
近づいて手に入れたいわけではないことはわかる。
そもそも、その距離が埋まることはない。
それでも、私は何度でもその眼差しと出会った様に思い、その埋まらない距離に少しだけ悲しみのようなものを感じ、
次の瞬間には出会えてすらいないのではないかと考える。
よって、出会えていないのならば別れることもできず、感じていた少しの悲しみはやはり「の、ようなもの」であり
指針を無くした私ができそうな事は、そこにある物質に行動を仕掛けながら考えることだった。
他者が撮影した写真をカラーコピーし、水に濡らす。インクのシミとなって普通紙の裏に染み出してきた「20歳の母」。
被写体から何層にも渡って距離を取り、その表層のイメージを更に水によって溶かし、インクのシミにする。
そこに浮かび上がるイメージの眼差しはどこを見つめ、それを見つめる私たちの眼差しの行方はどこに行くのかを考えたい。
今回のドローイングの先に、Yeonsu-guという未だ行ったことのない土地(果たして行けるのかもまだ未定の土地)へのアプローチを考える。
血の繋がった母の20歳の頃の眼差しへの距離は、物理的な距離にかかわらず出会うことが難しくなった事と、
反してオンラインシステムなどによって奇妙な接近を見せた距離を抱えた昨今の状況に重なる側面を感じた。
今後、変化を伴いながら「眼差し」を考察していく。