明日の仕事のための教材プリントなどを作成しながら、改めて文章は難しいと感じています。
でもまだ技法的なことでは(下手ではあるけど)言葉も出てくるのに、
自身の作品解説や考えている事の話になるとポンコツ極まりないのが悩ましい。
ふと思ったのですが、今まで、「こうやって見たい」と思う気持ちでしか物事を見てこれなかった事が多かったように感じました。
でもそれは私が作りあげた理想の側面を見ていたわけで、広がりもないから限界もすぐにやってくる。
そして何より、見てるふりしているだけなような。
理想的ではないということは、自分の予想できる範囲を超えているということだと思うと、そちらの方が興味深い。
少しづつでも、見ることにも見ないことにも、頑なで無い姿勢を身につけられたら。そのことに対しての考えも拡大するのかな。
こうしてパタパタうちこんで言葉を書き連ねれば連ねるほど、そして読み返せば読み返すほどに意味は固まっていくように思えたり、
溶解していくように思えたりするから不思議です。
何かを見ていることも、見ていないことも、そんな感覚にも近いような。
と、かなりぼんやりして意図もあちこち散らばった日記になってきました。(いつもですが)
こんな調子でプリント作ったら、混乱させるだけの教材ができるんだろうな、それもまた良いな、などと
くだらない妄想に耽り逃避する夕方です。