大学生の時、何を描いても図像を描き起こすことに抵抗を感じて、描いては消してを繰り返していた。
その頃(1年生の後半から3年生くらいまでかと思う)の絵は毎日毎日、何時間も描いてるはずなのに
絵の具が塗り込められているだけで、無駄に暗い。ぼんやりと見えるか見えないかの図像を出すことで精一杯だった。
ある日、もう油絵の具では私の能力では3次元の物質が2次元に存在することを説明することができないと思い、逃避として
アトリエに落ちていた誰かの置いたコップやタバコの吸い殻(その頃はどこでも吸えた)を、10センチ×5センチくらいの小さなメモ帳に
ボールペンで描くことを試みた。そうしたらまた全然できなかった。というか、もうどうしたらいいかわからないので、とにかくペンをコチャコチャ動かして
どうにかそれらしい形が見えてくるくらいに描くしかできなかった。それから毎日そのサイズでコチャコチャと何かを描いては、
うむむ、、、と唸っていたように思う。
その時期、影響されやすい私は、〇〇の一つ覚えみたいに毎日読んでいた本(今でも読むしこれからも読むけれど)をきっかけにして、今まで信じていた
デッサン力の世界から締め出された。それからはどうにかして絵を描くためにはどうしたらいいかを無い頭で考えつつ、(ほぼ)毎日繰り返し作業をした。
凡人の私は本の作家のように更に数十年をかけて表現を追求していけるほどの器も能力も根性も何もかも無かった。(本当は引き合いに出すのもおこがましい)
自分なりの「絵を描くため」への解決方法として、前後関係を説明することを避けるため、一つの画面に2つ以上のものは描かず、
図と地(背景)の作業性をパッキリと分けた。地の方はホワイトの絵の具を塗った面を100番から始めて、仕上げは400番のヤスリでツルツルにして
物質性を強調し、描くというよりも完璧に作業でしかないものにすることにして、自分の中で区別をつけた。
図の描き方も、筆で筆跡を重ねて対象を表現することに抵抗を感じていたので、水のように薄く溶いた油絵の具を横倒しにしたキャンバスにこぼし、
筆やティッシュペーパーで絵の具を抜いたり、水分を動かしたりしながら一つのレイヤーを一発で描き、乾いたらまた違うレイヤーを重ね、
その重なりによってどうにかして絵の中の図像中に極薄の空間を生み出せないかと試みた。
それが2009年くらいの作品に展開して行き、その後もその周辺で色々やっていくうちに今に至る。
キャンバスに何かを描くこと自体について考え出すようになってからキャンバスを取り巻く素材から距離をとるのに、約10年くらい。
離れることが目的ではなく、それに頼ることなく、それを考えていたい。
と、すごくざっっくりと何となく振り返ってみたら、昔も今もやっていることがあまり変わらないような気がした。
でも、おんなじでもない。
コップがコップであることがわからなくなったときから、多分苦しくて、楽しくなってきたんだろう。
今日のはすごく雑な振り返りで、後から後悔して消したくなりそうだ。