予定変更により京都での泊まるところを急遽確保。
納得できる価格帯で急遽確保できる事が、やはりGWとの違いだと感じました、、、。安心。
よく考えてみたら京都での夜を単独で過ごすのは今回の滞在が初めてなのかもしれません。
よーし、フラフラしまくろう。とか思っても、ただまたモヤモヤしながら歩いてるだけになりそうな予感。まあいいか。
少し期間が空いて展示会場に行くのは何だかドキドキします。
どんなに見知った人でも時間が経ってから会うと緊張することと同じように、自分で制作したものなのに、緊張する。
手元を離れたら、まるで他人のようです。
でも、他者であることは欠かせないことのような気がしています。
だからこそ見えるものもあれば、気がつくこともある。
遠くに離れて俯瞰した時に見えてくる景色は、目も心も近すぎる時には見えてないものが見えるはず。
他者であることは悲しさではなく、他者でいるからこそ、その間に多様な距離をつくる事ができるのではないかと思うのです。
そもそも自己というものについての認識も曖昧な私には、他者性について語れることは無いのかもしれませんが、ふとそんなことを思いました。
アトリエで一人制作をしている時など、自己からも乖離して行く感覚があり、自分すらも他者に感じる事があるけれど、
それもまた自己という逃れられない尺度があるからそう感じるのかもしれません。
「何か」との関係とは、常に一様ではなく、変わり続けて決して融合しないからこそ、存在し続けていけるような気もするのです。
よそよそしい私の「作品」との再会に、少し落ち着かない夜をあと2回。