都合が悪いから忘れたふりしたり、考えるの放棄したりしないで、意見を持つことをしてみる。
そして、意見を図り合ったり自己の基準を押し付け合ったりするようなことではなく、
状況に対してどう立ち回れるかを考えれたらいいな、などとおもう。
先日の会話で出た、物事を多角的に捉える意識をどうやって手に入れるか、ということを
何かを描くとか、制作するとかだけではない所でこそ、意識することができたらいいのにな。
「眼」を手に入れたら、風景は変わってみえる。
そして、その「眼」をまた疑い、手放し、再度考えることを繰り返すことで、風景は変化し続ける。
のかな。
暇つぶしにやっているわけでもなければ、無自覚にやっているわけでもないらしい。だから色々と。
そんなこと、今更ながら自覚した気もする。
思考停止で突き進むことは、避けたい。
だからこそ広くて、あんまり密集してない場所で、ふらふらとするのも必要そうだ。
結局いつもふらふら。