Un known house

「Un known house」(2018):22分36秒

 

 

2018年の展覧会vinyl houseのために制作した映像作品。

展示メンバーの伊藤に、武政の実母に対してのいくつかの質問を投げかけてもらい、母に答えてもらう様子を撮影した映像。

映像の音声は撮影時のまま、伊藤と武政の母のやりとりが流れていく。

しかし、その映像に付く字幕は、伊藤が放つ母への質問に対し、武政が自らへ放たれた質問として答えたものが流れていく。

 

母と娘という限りなく近い個別の人間が、一つの質問に対して答える言葉は、微妙にずれたり、時には正反対の結果を伴うものもある。

音声に耳をすますと、字幕は頭に入ってこなくなり、字幕に意識を集中させると、音声は耳から耳へとすり抜けていく。

拠り所のない時間を過ごしていくと、時たま画面は暗転し、字幕だけが流れる時間が入る。

そこで流れる文字の羅列に何かしらの意味を見出そうとした時、次の拠り所のない時間が始まる。

 

国道の近いホテル

部屋は清潔

ベットは

12時間かけて

そこで私は母を泣かせました

そのホテルは

どの国に

泣かせたのでしょう

本当は嫌だった

友達に不思議

ラスト

でも多分

なんらかの形で

最後

 

伊藤の質問内容と、それに答えた字幕のシナリオ(一部省略)を載せます。(武政母の音声は載っていません)

 

質問:3:12 「お母様はこの場所というかこの地域でそだったのでしょうか」(伊藤)

そうですね。私は生まれたのはこの町です。18歳までは途中家の建て替えはありましたがこの場所で育ちました。(武政)

 

質問:4:00  「今この場所についてどういう印象を持っていますか?」(伊藤)

今…。今では15年近くこの土地を離れている身としてですが、「故郷」というと大げさに聞こえるかもしれませんね。
生まれて、子供時代を過ごした土地として肯定的な気持ちが大きいですが、
住んでいるときは、特に思春期の頃なんかは複雑な思いを抱えていましたが。(武政)

 

質問:4:36 「やきまんじゅうを初めて食べて、すごく面白いなと…」(伊藤)

ああ、確かに都内では見かけませんよね。私は幼いころから食べていたのでその時はどこにでも売っているものだと思っていました。
まあ、身近過ぎて群馬と埼玉の違いすら意識していないような子供だったので、利根川の土手の向こうが違う県だとも思っていませんでした。
県北と県南の言葉も中学で知りました。音だけ聞いても「ケンホク??」みたいな。漢字で見て位置関係だとやっとわかった感じです。(武政)

 

質問5:30   「ずっと住んでいらして幼いころのご自身の記憶はありますか?」(伊藤)

18までしか住んでいませんが…。幼いころは近所に同い年の子供が4人くらいいて、家の裏の畑や、運動場などで遊んでいました。
小学校に上がると徐々に人間関係も変わっていき、近所の子とは朝の登下校の班でしか会わなくなりました。(武政)

 

質問6:15   「小学校低学年のころどんなふうに過ごしていましたか?」(伊藤)

あんまりよく覚えていないけれど、学校の校庭とかでも遊んでいたのかな。
覚えてることは、あまり遊びたくない時に友達が家の前まで来てくれているのに、居留守を使って気まずい思いをしてた、とかですね。
うちは両親が共働きだったので当時家が隣にあった祖父母のところで過ごしていたのかも。(武政)

 

質問6:50  「ご自身のご両親のお仕事はどんなものでしたか?」(伊藤)

父は市役所職員で母は小学校の教員でした。公務員ですね。
小さいころから家に帰っても昼間は親はいないので祖父母とすごしたり。
たまに母が行事の代休かなんかで平日家にいるときは本当にうれしかったですね。めったにないことだったので。(武政)

 

質問8:10 「お出かけも多かったのでしょうか」(伊藤)

そうですね。昔のビデオが残っていたのですが、夏休みとか3日おきにどっか日帰りや泊りで出かけているんですよ。
昔のビデオなので日付けが右下あたりに出るのでわかったのですが。
多分両親は普段休みがないから休める時に思いきり遊んでくれたんでしょうね。ありがたいことです。(武政)

 

質問8:50 「朋子さんは無断でビニールハウスに上っていたなどの話を聞きましたが、お母様はそんな遊びをしてましたか?」(伊藤)

ああ、ビニールハウス。確かに何回か登っていましたね。今考えたらひどい話ですね。見かけたら普通に叱りたくなりますよね。
当時も確か所有者のおじさんに見つかって上まで登る前に逃げた気がします。ということは正確には登れてないですね。
ビニールハウスに登ろうとしていた、だけでしたね。どうしておそらくは登れてもいないのに登ったという気になったんでしょう。
そもそも体重がかかるはずだから子供の時とはいえ、ビニールハウスにダメージが出ますよね。登れていたら。
そうなるときっと苦情が来たはず。そんな記憶はないので、きっと未遂だったんでしょうか。

※ここからフェイドアウトしながら暗転①

それともだれかが登っていたのを見ていたのかな。今となってはどちらでもいいですね。
ただ、大人になったその出来事について解ることはビニールハウスは所有者以外は登るものではないということだけです。(武政)

 

 

質問16:20 「お母様は、女の子を育ててきましたが、自分の子供時代と重ねたことはありますか?」(伊藤)

まず私には子供がいないので、予想でしかないですけど、別人格かと。私と母もそうですし。 あくまで予想の話しかできません。(武政)

 

質問17:30 「おひなさまについての思い出とかあったりしますでしょうか?」(伊藤)

うちには段飾りのお雛様がありました。小さいころは毎年出していた・・のかな…?
とにかく細かいパーツとかがおもちゃみたいで楽しかったことと、人形が少し不気味だったことを覚えています。
あと、赤い布のかかった7段くらい?の台を階段のように登ってみたかったということも覚えていますね。
怒られるのは確実なのでやりませんでしたけど。もうしばらく出していませんね。
実家のどこかにしまってあるのでしょう。

※ここからフェイドアウトしながら暗転②

当時も一年に一度しか出てこない彼らの所在についてははっきり理解していませんでした。
あるということは確かなのに、どこから来るのかはわからなかった。(武政)

 

 

質問26:03 「朋子さんが家を出るタイミングはいつでしたか?」(伊藤)

大学に受かった時なので18歳でした。(武政)

 

質問26:30 「一人暮らしについてお母様は何か心配はありましたか?」(伊藤)

一人で暮らすということは想像よりも最初はさみしかった気がします。
ですが、親の方が不安に感じているだろうなと思っていました。娘だし。母と国分寺で会って、別々の家に帰るときの別れ際に、
母が不安げというかさみしそうだったのを覚えています。

※ここからフェイドアウトしながら暗転③

きっと別れてから少し泣いたりするのかな、などと想像して、私の方が後でこっそりと泣いていたりしました。
母は結局、泣いたのでしょうか。(武政)

 

 

質問30:58 「お二人で行かれたイタリア旅行について、いかがでしたか?」(伊藤)

そうなんですよ。このときは本当に母に申し訳なかったなという思いが残っています。
せっかくの長年働いた末の長期休みに、初の海外旅行だったのに。私が22歳といえ、子供過ぎたのでしょうね。
ツアーの空気だって割り切って楽しめばいいのに変なプライドが邪魔をして受け入れられなかったのでしょう。
何も悪くない母に随分八つ当たりのように、いやな態度をとったような気がします。
正直、本当にイタリアに行ったのだろうかと思うくらい現地で観光した記憶が薄くて、それよりも母を泣かせてしまったホテルの部屋や、
不機嫌な態度をとってしまったバスの中のことばかり覚えているのです。
その時の母へのもどかしい感情や申し訳なさ、自己への嫌悪感が私の記憶を塗り替えてしまったようです。

12時間かけて行った異国の地で、
そこで私は母を泣かせました。

※ここからフェイドアウトしながら暗転④

私は確かにイタリアへ行きました。
ですが、おそらく一人暮らしをしていたアパートの一室で起きるかもしれないことを、
12時間かけて行った異国の地で経験してきたのかもしれません。
そのホテルがどの国に建てられたものだったとしても、私は母を泣かせたのでしょう。(武政)

 

 

質問47:35 「お母さんの子供時代の思い出について聞かせてください」(伊藤)

そうですね…ネガティブな記憶ですが、小学校の時って体操服があるじゃないですか。
それを忘れるとほかのクラスの友達に借りたりしなきゃいけなかったんですけど、ある時、ある同級生に体操服を貸してくれと頼まれたんです。
当時その人は、嫌な話ですが、皆からあまり好かれていなくて色んな人に断られてから私のもとに来たようでした。
というのも、仲が良かったわけでも同じクラスになったことがあったわけでもなかったので。たぶん誰でもよかったのだとは思うのですが、
私は「ここで私がかさなかったらかわいそう」という気持ちがでたのか、貸したんですよ。体操着を。正直私も嫌だったんです。
ほかのみんなと同じように。でも断る勇気も強い理由も足りなかったのかもしれません。何事も無いように貸しました。
友達には不思議がられましたが、それも気にしないふりをしました。ただ、本当は嫌だったんです。

※ここからフェイドアウトしながら暗転⑤

後日、その体操着を貸した同級生と廊下ですれ違ったのですが、すれ違いざまに雑巾を顔にぶつけられました。

私は何が起きたのかよくわからなかった。一瞬の出来事だったし。何か言われたわけでもなく、雑巾が顔に当たりました。
実は前後のことはよく覚えていないのですが、当時私がその出来事について出した結論は、
体操着を貸すことをその学年の人間の中で本当は私が一番嫌がっていて、恐れていたのが、彼女にバレたのだろう、ということでした。

こうして当時を思い出して書いているつもりでもその出来事が本当だったのかどうかわからなくなっています。
話せば話すほど摩耗していくようです。でも多分あったんです。何らかの形で、そのようなことが、どこかで。

それが私の今現在覚えている形の思い出です。(武政)