最近、いざこうしてHPの日記につけようとすると
(読んでいる人がいようがいまいが)言葉が公開されることが気になって日記が書きにくくなってきました。
公開されることがわかっていて出てくる言葉は、非公開の場で出てくる言葉とはやっぱり違うはずで。
紡いだ言葉の裏側で出せなかった言葉はどんな形をしているのだろうなどと考え出したら混乱してきました。
最近見た展覧会でも、それを思う場面がありました。鑑賞しながら、出せなかったのかもしれない言葉について思いを巡らせていました。
でもそれは混乱ではなく、出てきた言葉の影の中に隠された言葉に思いを馳せる良い時間でした。
その作品を見れてよかったなあと思いながら帰途に着いたのが印象的です。
言葉ともまた違うけど、制作についてもそんなことを考えます。ついエポックメイキング的なものを狙いすぎて、目の前のやってみた実験が微妙なものだと
意味がないもの見えてしまうけど、そんなことはなくてその中にも何か考えるべきポイントは隠れているはず。(と、思いたい。)
ということで、この虚構の日記もどんな形になるかわからない実験も、あながち無駄ではないのかもしれないと思ったりして
どうにか明日に繋ごうとする今日この頃です。