風の強い大晦日。
一年前の大晦日も確か強風だった気がします。今日の方がまだ穏やかかな。大掃除?を終えてひと段落です。
(去年のを読み返してみたら、ボロ屋の2階が吹き飛ばされそうと書いてありました…。)
今年は振り返るにはあまりに変化が大きく、終わった感もないので諦めました。まあ、毎年まとめなんて出来ずに36年経過しているのですが。
石膏デッサンとかを頑張って描いていた時、苦労して時間をかけて画面にモチーフを収め、少し離れて構図の確認をしたときに
「あ、ちょっと全体を1.5センチくらい右にずらした方がいいな」とか頭によぎってしまった時。
全体をずらすという面倒くささが勝って、頭に一瞬よぎったその考えを無視して描き進めていってしまった事も多々。
ただ、それで進めたものは、どこまで行っても1.5センチずれていました。
どんなによく頑張って上手く描けたとしても、1.5センチずれているのを最後まで払拭出来ずにやっていくなら、
機を逃していたとしても1.5センチずらす判断をできるようになりたいなと思っていたことを、今朝走りながらボンヤリ考えました。
多分、ずれに気がつくことと、ずらす判断をしてそれを施すことが難しい。ずらせて良くなったとかは、副産物で。
デッサンに限らず、制作でもその他諸々のことでも、ずれに気が付いてからその考えを保留にして物事を進めて行っている時に感じる
ある種の現状への白々しさを感じることがあります。そうなったら、止めるとか変えるとかに限らずもなんらかの形で対処することに
なってきたように思いました。対処の方法は本当に様々だけど、ふにゃふにゃなので時間もかかります。
対処した先でもまた新たな対処の必要性が出てくるので終わりはないのですが、そうやって変わり続けて行きたいなと思ったことを
つらつらと書く12月の31日の散文です。
振り返りで締めることは能力不足につき出来ないのですが、今年は近くにいてくれる人達、近くにはいれないけど大事な人達について
よく考える年でもありました。
関係の形は色んな形になっても大事に思う人たちや、その大事な人たちにとっての大切な人達のことも、ボロ屋の2階のアトリエにて思いを馳せながら
残り少ない2020年の最後の日を過ごそうと思います。