鳥越にて。
今日も良い天気で暑いです。今日のここから見える洗濯物は、ヒラヒラした素材の楽チンそうなズボンが3本。
風にはためいていてよく乾きそうです。我が家に干してきた洗濯物についても思いを馳せるのんびりした午後です。
絶対にこうしたい、とか、こうするべきなんだと思っていた型枠がいつの間にか遠のいていくような感じがしています。
そうならなくても、別に無くなってしまうわけでもなく、ただ、そうなだけ、なような。
自分の尺度から導き出す判断でどうにかしようとすることだけが全てでは無さそうで、
物事のあり方には私の知らなかった、そしてまだ見ぬ側面ばかりのようです。
日々連綿と続く「出来事」達とどのように関係を築いていき、距離を測っていくのか。
作品を配置する作業はそんな考えの延長にあるような気もして、
いつも紙を持ったまま呆然と空間で立ちすくんでることが多くなります。いつまでも永遠に呆然としているわけにもいかないので
どこかで判断と決断が迫られるわけですが、いつもそれが正しかったかどうかはよく分からぬまま。
でも、不思議と正しいかどうかはわからないけど、間違っているとも思わないことは保管して考えていってもいい気もするのです。
水のように流れるような関係でいるにはまだまだ修行も足らず、かといって、流していては見えないものもあるような気もして。
結局のところ、ただただ、散文。