風邪の薬を飲んだからか、頭がぼーっとしていた。その甲斐もあってか先ほど展示の大枠を考える道筋が見えてきたような気がする。
はたから見たらそんなに派手な変化もないのだろうけど、自分からしたらその出て来そうな考えの端っこを、掴めなそうで掴めそうな時は
滅多にこないから軽く動揺する。アトリエの中をぐるぐると歩き回ってしまったりもする。
落ち着きすぎていてもダメだし、浮き足立ってもダメだから、とにかくぐるぐるする。誰か見ていたらきっと怪しい。
掴んだ気になって文章や図に書き起こした瞬間に興ざめする時もあるので気は抜けない。
たとえそれをかいくぐってもよいものになるかはわからないから、最後まで不安なことに変わりはないのだけれど。
今年は2019年。このHPに載せている展覧会の最初が2009年の1月だから、学外で本格的に展覧会を始めた頃から10年経過したことになる。
大学とも関係ない場所で働きながら展覧会をするようになってようやく10年。
秋山画廊での初めての展覧会をした2009年当時、25歳だった私は、まずは自分の稼ぎで生活を回しながら10年継続することが一つの目標でもあった。
理想的とは言い難い10年だったし、努力も足りてない事ばかりのように思うけど、それでも今があるのは周りの人たちのおかげと、
諦めが悪い自分がいたからかなと、何と無く過去の展示記録を見ながら思う。
制作に関してはほとんどが額にしわ寄せてた記憶しかない。
ここからまた10年。とは言わず、足元の一歩ずつでいいから、続けようと思えるうちは続けていきたい。
10年、と大きく言えなくなったのは歳をとったからかもしれないけど、執着の有り様が変わってきたからとも思う。
今までは制作を続けることが目標だったけど、そこに意味を感じなくなったらそれはただの惰性になってしまう。
常に自分の選択に対して「何故」を投げかける事。
どう見ても素敵でもなくて矛盾している出来事だったとしても、その投げかけに対して言いようのない諦めがたさを感じるのならば
考える余地はあるのかもしれない。その結果が何に結びつくわけでもなかったとしても仕方がない。
そんなことを思うようになってからは、10年続けるという目標もあまり意味を持たなくなった。
振り返った時に気が付いたら経過している時間に、意味があれば、何年でも構わないかなあと思う。
なんて、風邪気味だから考えてしまうのかな。な散文。