見ようとしたものや、考えようとしたことだけに囚われないようにと。
そのものがそのものでしかないことは、多分嫌なことでも、嬉しいことでもなくて、考えるに値する大事なことなような気がする。
その時に見える風景は、どんな風に成り立っているんだろう。
その風景に遭遇した時、それに気がつくことはできるのだろうか。
見ようとしない時に遭遇するそれは心地よくはないだろうけど、嫌いにもなれないような気もする。
「私」ではない人々の考えに触れた時、なぜ、今までそう考えていたのか確信が無くなってしまう。
その度に、私の創り出した薄皮を被せた何かを見ていただけなのではないかと思う。
薄皮が剥がれたそれは、私にとって都合の良いものでないこともある。でも、それがそれであるならば、改めてそれを見ることにしてみる。
それが薄皮の下の違う薄皮だったとしても、また繰り返せば良い。それをどうするというわけでも無く。繰り返すうちに、最初の姿も遠のいて行く。
隣の喫煙ブースのロールカーテンが上がり、日光が差し込む。まだ普通に昼間の明るさのようで、少し夕方の気配。
通いなれた駅前の入ったことがなかった全国チェーン店でそんなことをバラバラと考える。
禁煙ブースとはガラス戸でしきられているけど、うっすらと染みついたタバコの香りに、きっと外に出たら気がつくんだろう。
はっきりした境界の無いグラデーションの侵食。