変な癖なのかもしれませんが、すごくいいと思う作品や物事に出会うと、なんだかその場にいられなくなる感じがします。
その空間には居たいのだけど、そのものの前には居たくなくなるのです。
だから足早に他のところに移動して、良いと思ったものについて、他の作品の前とか、部屋の隅とか、違う場所とかで考えたりします。
展覧会などは、あまり何も思わないときも見るのが早いので、結局は何を見ても早いようにしか見えないのですが、良いと思うものに出会った時の
内心ではソワソワドキドキが目まぐるしくて、さっさか動いて、ずっとそれについて考えていたりします。たまに会場を逆走して戻ってどう思うか
確認したり、遠くから人越しに見たり、さらに遠くから空間ごと見てどう思うか確認したり。
とりあえず、そのものの前にずっと立ち尽くすことが苦手です。
立ち尽くしたら、いつかそこから移動しなければいけないタイミングを見失いそうで怖いのかもしれません。だから動き難くなる前に動いて
他の場所からそれについて考えることで、向き合うことを補填しているような。
だから映像作品を観るのはいつも苦手でした。起承転結があったりするものはある程度の時間拘束されることが必然だったりするからかもしれません。
なので、物質である作品のように、どこで観るのをやめても、または観始めてもよく、スクリーンとの距離も関係性も測れるように
映像を扱いたかったのかもしれません。その視点はいままでも、そしてこれからも課題になることだと思っています。
私には何をみるにも、するにも、少し勇気が足りないのかもしれません。
なんか変な話ですが、移動のタイミングを失うほどに心奪われることがあったとしたならば、立ち尽くしているその時だけに集中すること、
そしてそれをきちんと見つめる勇気も大切なのかもしれないと思った今日でした。
それによって思ったものじゃないものが見えてきたとしても、貧困なこの頭で作り上げた何かをそうだと思い込んで見ているよりは、
望んでなかったものが見えてきた方が良いのかもしれない。