2019年10月14日

10月 14, 2019

アプローチの方法は随分とかけ離れてきても、そこについての考察の仕方はそんなに大差は無いようにも思う。

でも、身体性やそれによって得る実感、そこに出現する成果物に違いがあることはやはり大差なのかもしれない。

 

どうして、モノが必要なのか。そこにあるモノが一体なんだっていうのか。

そこについて考えることを無視してはいけないような気がしているけど、なぜ無視してはいけないのかがまだわからない。

結構、根元からごちゃついてきていて、端折ってはいけない予感。

 

 

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