2017年11月20日[2]

11月 20, 2017
「ダムの底」 それをみたことが無い。 そもそも、そんなに行く機会を作らずに今まで生きてきた。 みる回数は圧倒的に少なく、みたとしてもそれとは気付けないかもしれない。 水が溜まっていない状態のそれを、何と呼ぶべきだろうか。 やはり水が溜まって役割を果たしてこそ、名付けられる場所のような気もする。 ということで、今後もその底にたどり着くことは難しいようだ。 はっきりとは見えない底が確かに存在することだ […]
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2017年11月20日

11月 20, 2017
松本経済新聞に「ダムの底」の記事を書いていただきました。 以下、記事の内容を載せさせていただきます。   「ダムの底」2017年10月21日~12月3日 awaiartcenter 松本・深志のアートギャラリー&カフェ「awai art center(アワイアートセンター)」(松本市深志3、 TEL 090-2427-4374)で現在、アーティスト・太田遼さんと武政朋子さんによる企画展「 […]
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2016年9月5日

9月 05, 2016
This sentence makes no sense. この言葉は全然意味をなさない この言葉は全然意味をなさない この文章は全然意味をなさない   だんだんと派生するように生まれるルールにのっとって、配置していく。 そこに意味があるように感じていた次の瞬間には、以前まで大切にしていたものがすでに重要ではなくなっていることに気が付く。 その繰り返しで作り上げる空間には、意味なんて存在 […]
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2016年3月9日

3月 09, 2016
アートスケープにレビューを書いていただきました。過去のものもまとめて載せさせていただきます。   [It is mere guesswork それは単なる推測にすぎない] 会期:2015/11/28~2015/12/20 Maebashi Works[群馬県] 「絵画」のオーバーホール。武政朋子が手がけているのは、既存の「絵画」を分解、点検、再構成する、きわめて内省的な仕事である。それは […]
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2015年12月

12月 12, 2015
It is mere guesswork それは単なる推測にすぎない   そう見えた、ような気がした。次の瞬間には確信はない。 あれのことを考えるとそれが消えて、それのことを考えるとあれが消える。 でも実際には上手くはなくなってはくれなくて、みんなバラバラと散らばり、積もって、また私は推測するしか手立てをもてなくなった。   絵画という枠の中。物質という枠の中。逃れたくても逃れ […]
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2015年11月

11月 26, 2015
そう見えた、ような気がした。次の瞬間には確信はない。 あれのことを考えるとそれが消えて、それのことを考えるとあれが消える。 でも実際は上手くなくなってはくれなくて、みんなバラバラと散らばり、積もって、また私は推測するしか手立てをもてなくなった。
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2015年8月

8月 01, 2015
ある時、窓からぼうっと外を眺めていると、街灯の電球を交換する作業を目撃した。 どうやら今、このあたりには作業中の人たちと私以外はだれもいないみたいだ。 滞りなく作業は終了し、誰にも(正確には私と作業員の人々以外に)知られることなく交換された電球が設置された街灯には、新しい光が煌々と輝いている。 そして、その新しい光源の下を、〝昨日と同じ街灯〟の下を通る道のりとして帰宅する人たち。 電球は交換されて […]
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2015年3月

3月 01, 2015
〝彼女の眼はなにもとらえてはいない〟 いつの日か彼女のみていたであろう景色を私は思い浮かべる。 何をみていたのか尋ねた私に、彼女は視線をそらさずに 「とくに、なにも。」と答えた。 そしてまたみつめ続ける。 彼女は何もみていない。でも、みることをやめることはしない。
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2014年6月

6月 01, 2014
あれはいつの日だったのだろう。育った土地の景色の中で平地の向こうに見える山々が、日が暮れる少し前に距離を失うように見えたのは。 そこに失われる前の距離が存在しているのはわかっているのに私にはもうそれを証明する術は無い。 名も無き日々を過ごすうちに、私は失われた「ようにみえた」距離に思いを巡らすことを覚えた。
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