2019年3月27日

3月 27, 2019

「Mayumi Enoki / Tomoko Takemasa Exhibition – I am remembering why we are thinking about it.」

に寄せてキュレーターである新井杏によるステートメントを以下に記載させていただきます。

 

 

「- I am remembering why we are thinking about it.」

-わたしは私たちがなぜそれについて考えているのかを思い出している。

 

誰かの目にうつる「それ」とは。

「それ」をじっと見つめ、外周をなぞるように辿り、隙間と隙間の間にある思考を紡ぐことをを途切れさせないように、「それ」について考える。

そのすべてを何故考え始めたのかをわたしは一つずつ思い出している。

 

同じ景色を見ていてもわたしとあなたで見えている「それ」は違う。

そんなことは考えるまでもないほどに当たり前のことだが、何気ない瞬間を誰かの視点を借りて見つめ直したとき、それまでわかったつもりでいた「それ」の姿がぼんやりと霞んでいくことがある。

わかったつもりで見ていた「それ」への居心地の悪さを覚え、一度自己という枠を外し他者の視点を借りて一つずつ拾い上げてみる。

「それ」について考えを巡らすことは物事への適切な距離を模索することでもあり、振り返りにもなる。

時間が経って自分の中にある「それ」との距離に居心地の良さを感じたとしても思考を止めることはできない。

作家が何故その素材を使用し、何故その瞬間を作品の完成とし、その作品をそこに置くと決めたのか。一つ一つを今度は自分の目線に置き換えて考えてみる。

 

今回、公益財団法人西枝財団様に助成を受け開催する展覧会では東京都・墨田区にあるArai Associatesで私たちが4年間取り組んできた作家と作品、そしてスペースが正面から向き合い、それぞれが「今」何をしようとしているのか、何を大切にして作品を発表するのかを丁寧に形取るということを京都・瑞雲庵に場所を移し同じように試みる。

参加者の誰一人としてゆかりのない新しい景色に向き合ったとき、わたしの目にうつることのない榎真弓と武政朋子の視点と時間がどう展開されるのか。

世代も生まれた場所もキャリアも何もかもが異なる私たちそれぞれが見ている「それ」が瑞雲庵という場で可視化した瞬間の景色を想像する。

それは鑑賞者にとっての思考の始まりになりえるのだろうか。